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ブログAlways blue skies behind the clouds

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新人弁護士からのメッセージ

 私たち「そらうみ法律事務所」には現在9名の弁護士が所属しています。

 うち7名は公設事務所や法テラスでの赴任を経験した者、1名は法人設立間もない未知の段階で加入してくれたガッツ溢れる奄美事務所の菅野浩平さん。さらに1名は昨年末に弁護士登録したばかりの岡本敏徳さん

 

 岡本さんはコロナ禍での東京事務所で修行を積みつつ来春には弊所の地方事務所へ赴任予定です。各赴任地で育ててもらったがゆえに今の私たちがあります。各地域の皆様におかれましては、かの地へ赴任する岡本さんをぜひともご愛顧頂き育てて頂ければと思います。以下は彼の自己紹介的なエッセーです。知性と個性あふれる岡本さんをどうかよろしくお願いします。

 

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弁護士 岡本敏徳

 

・「悪と手を結ぶ仕事」?

私は、かつて、「弁護士というのは悪と手を結ぶ仕事だから、大変でしょう。」と、とある知り合いの方から、労い(?)の言葉をいただいたことがありました。私は、その方の言わんとするところをはかりかね、曖昧な返事をしてやり過ごしましたが、後で、「もしかしたら、あの人は、弁護士が刑事事件で被疑者・被告人のために弁護活動をすることを、『悪と手を結ぶ』と表現しようとしたのかな。」と考えたりもしました。

たしかに、弁護士の一つの活動として、犯罪の嫌疑をかけられた人の弁護活動をする、というものがあります。ひょっとしたら、犯罪の嫌疑をかけられた人が「悪」であり、そういう人の弁護をするから「悪と手を結ぶ」と言われたのかも知れません。

しかし、何が「正義」で、何が「悪」かということ自体、簡単に定義できるものではないと思います。仮に裁判所が、「何も証拠はないけど、何となくお前が犯人である気がするから、お前の言い分を聞くまでもなく、お前を懲役○年に処する。」などと判決を下せば、国家の機関である裁判所自身が、その被告人に対して、「悪」を働いたということもできるのではないでしょうか。このように、国家でさえも概念上は「悪」を働きうる以上、万人は、それぞれ、「国家の判断の正当性を争う権利」を与えられていると考えることができます(それをリストアップしたものが、憲法に定められた権利だとも言えます。)。要は、万人は、国家に対し、「あなたの判断は間違っていませんか。」と反問する権利を与えられているのです。かかる権利の行使を通じて、国家による「悪」の抑止を図ることができるのであって、その権利の行使こそ、「正義」を実現するための営みなのだと、私は考えています。

このように考えれば、被疑者・被告人の権利(すなわち、国家に対して自身への有罪判決という判断の正当性を反問する権利)の実現に奔走する弁護活動は、「正義」の実現に向けた活動であると言えると思います。したがって、弁護士が「悪と手を結ぶ」仕事であると表現するのは、正しくないのだと、私は思います。

 

・弁護士の役割―私益の公論への翻訳

それでは、「国家の判断の正当性を争う」権利というものは、具体的にどのように行使すればよいのでしょうか。

国家の判断というものは、たとえそれが一個人に対する判断であっても、先例としての価値を帯び、その後の同種事例に対して事実上の拘束力を生ずるものですから(これは、平等原則に由来するものです。)、結局、誰に対しても通用する言論をもって行われることになります。そうすると、その判断の正当化を争う場合にも、国家と同じ土俵に立ち、一個人についてのみ通用する言論ではなく、誰にでも通用する言論をもって行う必要があります。

ここから、弁護士の職責が導き出されると、私は考えています。すなわち、依頼者の私益を、誰にでも通用する言論(公論)へ翻訳することで、依頼者を国家と同じ土俵に立たせ、依頼者の私益に対する「国家の判断の正当性を争う」、というものです。

私は、このような職責を忘れることなく、微力ながらも、依頼者の方の声に耳を傾け、それを公論へと翻訳し、その権利を実現する活動に邁進していきたいと考えています。

 

・私について

以上堅苦しいことを述べて参りましたが、最後に私について紹介させてください。私は、小学校時代をニューヨーク州にて過し、その反動で日本の文化に強い関心を持つようになりました。高校時代からは日本の古典文学に興味を抱き、今でも時間を見つけては読んだりしています。また、古文書や寺社等にある碑石を解読して往時を偲び、時間の流れのなかで失われた何かを探すようなこともしています。